インド占星術と私

インド占星術とは5000年以上前にインドの聖者が降ろした知識で、統計学による占いとは一線を画し、星の運行によって個人や組織の運気を読み解く学問といわれています。

私はリウマチによるハンディや障害があります。しかし見た目は隠しているので解りにくいかもしれません。何故今、リウマチを公表していこうと思ったのか。
それは、インド占星術との出逢いにより大きく人生が変わってきたからです。
色々と自分に起きる出来事が何故なのか?占いの勉強をする中で心の仕組みを知るためにカウンセリング心理学の技法も10年以上前に学びました。四柱推命も15年ほどしていましたが、どんな占いも元をたどれば宇宙の法則の一部なので、それなりに占いとしては当てはまる部分も重なります。
しかし、いつも最後まで納得いかなかったのは、同じ生年月日や同い年の人は、同じ星や統計学での鑑定結果になるので概要は同じですが、同じ人生にはなっていないから、おかしいなぁということでした。
そもそも統計学は過去のデータから分析したらこうなるでしょうというものなら、未来の占いも統計学なのです。私も他の占いの勉強をしてきたので、どの占いの否定も肯定もありません。共通点はたくさん有ります。では、何故?家庭環境が同じだとしても兄弟の中で経験する人生も、様々なものに対する思いの深さや捉え方が違うのはどうしてか。

人は心の感じ方や趣が、星の運行によってそれぞれ異なり変化が起きるといえるでしょう。
傷つきかたや苦しさ、喜びや幸福感の度合いも違うものです。相手には些細なことでも、本人にとっては死滅問題になるくらい傷が深いこともあります。
しかし、人の想いは言葉をいくら並べようが、数値でもはかりしれません。その事が、歯痒く心苦しい日々の積み重ねでした。
個人個人が経験する人生の大きな出来事は何故起きるのか?ずっと疑問だったのです。
その疑問が腑に落ちた占いが『インド占星術』です。
統計学ではないといいましたが、厳密にはインド占星術は過去性でのカルマのリアクションが、いつ、どのタイミングで今生発現するかを読み解きます。カルマとはご存じの方もあると思いますが、行為の結果のことです。カルマとはマイナスのイメージを持たれる方が多いですが、インド占星術では良いカルマも悪いカルマも両方あると言われています。自分の人生経験の全てにカルマが影響していると考えられています。
話ではよく聞いていても、実際に宇宙の仕組みを知り、論理的に腑に落ちたことでインド占星術の神秘を体感しました。

 

誰でも病気やマイナスな要素は経験しないほうが良いと思うかもしれません。
しかし、インド占星術では、全て生まれたときに自分自身で幸福になる一番進化する早道の方法を設定してきていると言われています。他の占いには反映されない、「わたし」の人生経験が反映され、且つ肯定された唯一の占いのツールでした。
何故この人生をわざわざ選んできたのか。病や障害と肉体的な苦痛という経験が何故必要だったのか、どうしたらこの経験を未来の人生に役立てられるのか。私が今、自信をもってインド占星術をお奨めし、お伝えできる強い信念を持てたのは、深い暗闇と心身の傷みを伴う苦悩の経験も含み、自分自身が設定してきた人生なのだと言うことが納得できたからです。マイナスの経験を肯定的に捉えられるようになったからでしょうか、ようやく知人以外にもリウマチを公表できる心持ちになりました。肉体的な障害は有りますが、自分の中ではリウマチという病の事はもう忘れかけている気がします。
インド占星術は未来を照らす灯りです。ジョーティシュの知識で大難を小難に、小難を無難に、無難は無かったことに、本気で人生と向き合える覚悟がある方に、人生の航海地図をお渡し出来れば幸いです。

 

 

 

 

 

 

母性

 

私が「子供」という言葉を聞いて最初に抱く感情は、理不尽かもしれないが拒絶感である。

これは、生い立ちなどにも関係するのかもしれない。私はもっと心の奥底の何か目に見えないものが影響している様に思えてならない。

女性に生まれたのなら子供を産むのが当たり前みたいで、子供を持っていないと、格が下みたいな見方をされて、息苦しさを感じながら生きてきたのは私だけだろうか。

私の世代は特に、結婚して、子供を産んで育てて一人前みたいに、周りから聞いていた記憶がある。
子供の頃から、人や家族を信じられない私は、家庭が不幸せなのにそんな感覚は理解できない、と

冷めた目で大人達を眺めていた。

いわゆる、適齢期の20代~30代なら、待ったなしに結婚しているのか、していないのか、を平気で聞いてくる。そんなことを聞いて何になるのだろうか。せいぜいご近所同士の井戸端会議の話のネタになるだけだと思うと、正直うんざりする。

そして、適齢期をとっくに過ぎたころ、実際にはどうなんだろう、と考えてみた。
確かに子供を産んだ女性は、産んでいない女性よりも、人間的、精神的にも成長するのかもしれない。

子供を持たないと経験することができない事象が、毎日否応なしに起こるのだから。

 

私は、20代でリウマチになった。本当は最初から子供を持ちたくないので、適齢期に「結婚」「出産」の言葉には異常なほどに反応し拒否していた。

リウマチという病気になったことで、当時、服用していた薬の注意事項に、妊娠は服用中してはいけないというのがあった。奇形児のリスクなどがあるそうだ。

本来なら最も女性であれば耐え難い苦悩かもしれない。しかし、私にとっては、結婚や、深いお付き合いを拒否できる理由ができて、逃げ道が与えられたと思ったのである。

 

それでも30代は、もっと辛かった。今度は、結婚しているのか、いないのかの質問なしで、いきなり「お子さんはおいくつ」と尋ねてくる始末である。とても相手の立場にたった考えをする人には思えない。

そんな苦闘の日々を乗り越え、40代を過ぎれば、もはや子供のことを真っ先に聞かれることもなくなり、

やっと身構える必要はなくなってきた。

 

最近、ある人に言われた言葉を思い返していた。書道教室の女性の生徒さんに10年ほど前、唐突に「母性愛」と半紙にお手本を書いてほしいのです、と言われたことがあった。当時はまさに、子供というキーワードに、心の中で葛藤していた時である。自分を試されているようでもあった。その出来事を、当時懇意にしていた、鍼灸院の男性の先生に尋ねてみた。


「母性愛は、母親にならないと無いものですか」と。すると先生は、「母性愛ではなく、書くなら母性と書いてあげなさい。子供を産まなくても、家に置いてある植物でも、近くの大切な人でも何でも良いのです。

 

育む、育てるという全てのことは母性に繋がっています。女性だけに備わったものとも限らないのだから」と。

 

 

 

前歯

 

小学三年生の休憩時間、数人の男女が円陣になり戯れていた。
確かジャンケンで負けたら、少しずつ足を開脚していくようなゲームだっただろうか。
順番にジャンケンをしていく。数回負けて段々と足を開いていたときに、円陣には参加していない友達が、

後方から、ちゃかして頭をコンとつっついた。


すると円陣の中の向かい側にいた男の子が「こういうのはな、こうするんやで」と言いながら、

正面から私の頭の後ろに掌を回し、顔を床に押しやる動作をした。

男の子はそんなに強くやったつもりはなかったのだろう。

私は、開脚しているので、思った以上の強さだったのと、あまりに急なことで手をつく事も出来ず、

顔面から床に叩きつけられた。

 

男の子に悪意はなく単にちゃかして笑わせるつもりが、私は瞬時に身動きができなくなり顔面と床がくっついた。

床に響き渡る足音が、耳障りだ。砂埃の匂いに顔をしかめた。

衝撃の痛みで暫くそのままでいると、背後から担任の先生やクラスメイトのざわついた声が聞こえる。

恥ずかしいやら、どうしたらいいやら、体温が急激に上昇しているのがわかる。


先生に「大丈夫か」と声をかけられたので、顔を上げないわけにはいかず、目を背けたまま頭を上げた。
数秒後、再び床に視線を向けてみると、なんだか白いものが光っている。
「うそやろ」頭のなかで嫌な予感がして、口の中で舌をぐるぐると巡らしてみた。
「ない。ないやん」前歯の一本が半分以上なくなっている。もう一度顔を近づけて、よく床を眺めてみた。

欠けた前歯がこちらを向いて笑っている。ゾッとした。

担任の先生は男の子に向かって怒鳴った「何してんねん、お前は。女の子やぞ」
痛いし恥ずかしい。でも私の事をちゃかしてくれたことに、口元がゆるんだ。

そのあと、学校から母親が呼び出され、一緒に歯医者に向かう。
歯医者さんは「まだ大人の歯が成長中なので、すぐには差し歯を入れられない。

もう少し成長がとまったら治しに来てください」


歯医者を後にした。

 

母親はいつも何かの被害を受けても、私が悪いと思っている。

気の利いた言葉ひとつも無く、気まずい空気の中、母親の背中から距離を置いて歩く。

家までの道のりが遥か遠く感じた。
この日から、歯のない顔を見られることのコンプレックスで学校に行くのが嫌でたまらなかった。

その間、男の子のお母さんは度々自宅を訪問しては、色々とお詫びの品を届けてくれていた。
小学生の間何度も二人の母親のやりとりの光景を陰でみながら、

男の子の困った姿が頭に浮かんで、気持ちが高ぶった。
一方、私の母親の方はといえば、コンプレックスになっていることなど露知らず、

いつになっても歯医者に連れていってくれる気配がない。

数年が経過した。

普通の感覚では歯の成長が止まるまでなら、だいたい中学生なるまでくらいかとも思っていたのだが、

中学卒業まで歯抜け生活で、思春期を過ごした。


そのせいだろうか、学生時代から笑顔の写真はなく、口を詰んでいる写真ばかりだ。

いつも苦しそうな表情である。何も反抗せずに子供のころから母親の言いなりの私は、

ついに高校入学になった。
一年生の時、自己紹介で、この歯で教壇に立った。口を開けたくなかった。

必死で震える声を絞り自己紹介を終えた。

人生で3本の指に入るほど恥ずかしい出来事だった。

自己紹介の最中に、クラスの男性のざわざわした雰囲気に、顔が真っ赤になり、

胸が締め付けられた。
帰宅し、母親に恐る恐る伝えた

「さすがにバカにされるから歯医者に行きたい」

歯医者に着き診察室に入ると、地元の歯医者さんなので、当時の先生のままである。
母親が先生に頼んだ

「この子が、小学校の時に折った歯を差し歯にしてほしいと言うてるんですけど、もう出来ますか」


私は、そんな言い方おかしいやろ、何年たってるんやと思いながら聞いていた。


すると先生は

「そら女の子のやのに、このままではお母さん、可愛そうですよ。もっと早く来たげないとあかんわな」


母親のきょとんとした困惑した表情が、妙におかしかった。

歯医者をあとにした。
帰り道、青空と小鳥のさえずりに足取りが軽くなった。

 

feel書☆心言葉(エッセイ書作家 けいふう)

 

貴方を観て人生の軌跡をことば、詩に書き下ろします

 

 

 

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青あざ

付き合って5年目になるパートナーとは、毎月逢う日を相談して決めている。

あえてパートナーと呼び合うのは、仕事もプライベートも共に活動している

公私とものパートナーだからだ。

 

2018年6月17日の夜、携帯の着信音が鳴り響いた。彼からだった。

充電器に差し込んでいた携帯電話を手に取り電話口にでた。

「もしもし、今夜遅くなるけど、そっち行っていいか」

今月の二人の予定を合わしていた時、今週は数日間逢えなくて

残念がっていたところだった。

 

「えっ、今週は予定が合わへんって言ってたのに大丈夫なん。私はいいよ」

いつもなら夜遅くになるのは、持病もあり早めに就寝しないと疲れるので、

乗り気でない返事をするはずだが、今日は違う返事をした。

日付けが変わる頃に玄関チャイムが鳴った。

 

眠気が頂点に達していたが、ドアを開けにいく足取りは軽い。ドアを静かに押し開けた。

彼の少し疲れた笑顔が私の目に飛び込んできた。

玄関から吹き込む外気の生暖かい風が眠気を一層深めた。

今夜は寝る時間が遅いから、朝は目覚ましをかけずに床についた。

隣の部屋から彼のいびきが聞こえてくる。

いびきが邪魔で、付き合い当時から部屋を隔てて、別々に休んでいる。

襖を半分開けている。私が寝返りをうつと隣の部屋から彼の足元が見えている。

 

18日の朝、うつらうつらと浅い眠りから覚め、壁に掛かっている時計を見上げた。

7時半すぎだった。

彼も目覚めているようだ。寝返りを打つ彼の背中が襖にあたって軽く音をたてている。

私は布団の中で、そろそろ起きようかなと思いながら、ごろごろしていた。

 

突然床から突き上げる地響きが起った。

 

すぐ傍の机の下に潜らなければ、必死で立ち上がろうとするが出来ない。

心臓がざわめき、呼吸が大きくなってくる。

布団が足にからまってしまい、ますます机の下にいくことが出来ない。

布団が体中に巻きついている。揺れはまだ続いている。

 

隣の部屋から、襖を力強くあける音がした。

突如、大きな物体が空から飛んできた。

私の背中に覆い被さってくる。

彼の全体重に私の身体が圧された。私だけ机の下に頭だけは入った。

彼の体は肩から下は全部はみ出している。揺れはまだ止まらない。

 

私は、身体を丸めて彼に寄りかかった。

 

「どうしよう、嫌や。怖い」

 

更に揺れは横に大きくなる。

身体が震える。指先が冷たくなってくる。

 

このまま最悪の事態になるのだろうか。

私は目を閉じた。右頬に暖かい吐息がかかる。

 

彼が耳元で囁いた。

「大丈夫、大丈夫や。落ち着きな」

大きくて柔らかな体の感触と、彼の胸の鼓動が私の背中の中心に伝わってきた。

 

激しく動いていた心音が、ゆっくりと穏やかに静まっていくのを感じた。

生まれて初めて守られているという感覚を知った。

 

数日後、左腕の青あざを見つけた。

紫色に変色し、打ち身のようになっていて指で押さえるとかなり痛かった。

何故こんな場所にあざができたのかはすぐには思い出せなかった。

地震の揺れの恐怖で痛みも忘れていたが、記憶をたどってみた。

あのとき彼が覆い被さってきた衝撃で、私は左腕を机の脚に強くぶつけたみたいである。

 

昼下がり、一緒にソファーに並んでテレビを見ていた。

彼の左手の袖口から、擦り傷で皮膚がささくれている手の甲が覗いていた。

 

「どうしたん、手の甲に擦り傷があるで」

 

「ほんまや、気づかんかったわ」

 

ふたりで目を合わして首をかしげた。暫く沈黙したあと、

「あっ」と私は声を発した。

 

目を見開いて、もう一度その擦り傷を見た。

 

「地震の時に、私に全体重で覆いかぶさった時に、机の左脚にぶつけたやろ」

 

ふたりは顔を伏せて、肩を大きく上下に震わせた。

 

 

頭を上げてベランダの窓に視線を移すと、

洗濯物が暖かい風に気持ち良さそうになびいていた。

 

 

 

 

 

男と女

「男と女」と記すとき、何故、「男」が先なのだろうか。


もちろん私の記憶する限りだが、「女と男」と表記する人が、
はたして存在するのか、と思った。


あるとしても、ほんのわずかかもしれない。
どうやら、こんな疑問を抱いてしまったのには理由があるようだ。

 

現代は男女平等の風潮が世間に浸透しているが、よくよく考えてみたら
「男女」とは区別されるものでもなく、平等でもなく、
比較するものではないと思うのは私だけだろうか。

 

つまり、差別視をされる対象ではない、という考えが湧き出てきた。

ただ単に「男」「女」である、と感じている。

 

先に記した「男女平等」にしてもそうだ。たとえ決まり文句であっても、
男が先にくる。なんだかおかしい、違和感がある。

 

以前、どこかの投稿で読んだのだが、女偏の漢字には、
あまり良い意味の漢字が無いと書いてあり興味を引いた。

漢字の姿形からは、以下の漢字が当てはあまりそうである。


「妥媒奴努怒婆嫌威妄嫡妨妖」

 

確かに、これらの漢字の風貌は暗さを帯びている。

 

まさに男尊女卑を醸し出しているように思えてならない。

他にも「婚姻」という文字も、どうして女偏ばかりなのか、
ますます気になってきた。


もしかして、女というのは色々なことを代表しているのだろうか。


では、男偏の漢字は、というと非常に漢字の数自体が少ないようである。

 

男女平等という言葉が流行のように使われてから久しいが、
そもそも、このような言葉が蔓延し出したことが、
却って差別化を助長しているような気がしてならない。


平等化という言葉から連想する人間の思い込みの方が強くなり、
実際は差別をされていなくても「男女平等」や「男女差別」の文字に踊らされ、
敏感になりすぎていると感じる。

 

平等化を主張し過ぎていることこそが、男女間の摩擦を
深くしている場合もあるのではないかと思う。

 

仮に、宇宙の摂理的に考えてみると、男女は比較するものではなく、
それぞれの役割があると捉え、全く異質な存在であると考え改める事が出来れば、
今から面白く過ごせるかもしれない。

 

そんなことを言われても、現実的には男女というものは、
永遠に平行線で接点のない生き物だと知っている。

 

それでも飽きもせず、摩擦を生じながらも、
男女は人生の中で多くの時間を共に費やしていくわけである。

「男と女」というものは、犬と猿ほども違う物体だと聞いている。

 

日常生活で、冷静に男女の違いについて考えられたら、
もっと二人で人生を楽しめるのかもしれない。

 

 

 

優先座席

 

20年くらい前になるだろうか。

 

 

 

通院日の帰り道、私は混雑するバスの車中にいた。座席の取っ手を必死で握りながら、立っていた。

 

毎月の病院通いで、見慣れた景色が車窓を流れていく。

 

観光シーズンは特にバスは混雑しているので、正直つらくて座席が空くのを、いつもまだかまだかと、じっと待っている。

 

 

 

指先や関節の骨が壊れている体には、急ブレーキに耐えられなくて非常に危険なのだが、見た目にはわからず伝えようもない。痛みに耐えながら、強く変形している足指で踏ん張っているので、長時間立っていることは困難である。

 

そうこうするうちに、摑まっていた取っ手の座席に座られていた方が席を立とうとされた。

内心ほっとしてその場所に座ろうとした。

 

停留所から親子らしき女性が2人乗ってきたのがちらっと見えた。

 

 

 

おじさんらしき声が車中に響いた。

 

突然、「お年寄りに席を譲ってあげなさいよ!!何を考えているんや、もう」と。

 

私ははじかれた様にその場を離れた。いたたまれなくなる。さっき乗ってきた人はお年寄りなのだろう。

 

どうやら今、停留所から乗車された、お母様と娘さんらしき二人が私の隣に寄ってこられた時だった。

 

 

 

おじさんの年齢も、乗車されてきた親子の年齢も顔を合せなかったので定かではない。

 

どちらとも視線も合わさず、私は運転席横のポールにつかまれる位置まで、足を引きずりながら進んだ。

 

娘さんらしき声が、後ろで聞こえた。

 

 

 

「あの人、もしかして足が悪かったんじゃないかな、お母さん」

 

 

 

私は窓の外をみた。いつもと変わりない風景と街並み、遠くには夕日がオレンジ色に輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

やめどき

毎年この時期になると悩みの種の年賀状。書道教室をしている手前、11月位から年賀状の練習をする日もあるが、私自身が正直たいへんだなと思っている。

 

周りを見渡しても、恐らく喜んで毎年、年賀状の準備をしている人はあまり見かけたことが無いような気がするのは私だけだろうか。

 

「今年は何枚出そうかな、どうしようかな」

 

「不謹慎だが、喪中なので書かなくてよいから今年は楽だ」などの言葉を耳にする。

 

 

 

数年前からある会に所属していたが、一昨年に退会したので、これを機会に会員の一部の方への年賀状を「もう送らないでおこう」と決心して出さなかった。

 

しかし、問題は、こちらが出さなかった相手から年賀状が来てしまった場合である。頭を悩ます。結局、年賀状もだいたい余っていることも多いだろう。返信をしてしまって元の木阿弥状態になってしまう。書道のお稽古場で、こんな会話を生徒さんと雑談していた年があった。

 

「一体、どのタイミングで年賀状だけの付き合いを止めるべきなんだろうか」

 

すると一人の生徒さんが、「私は、出していない人から来ても、何があっても心を鬼にして返事を書かないのよ、それしかない」と。

 

ある程度の年齢になると、「高齢につき新年のご挨拶を失礼させていただきます」というようなハガキが届くので、他の生徒さんにも質問してみた。

 

「これは高齢でないのに出したら変ですか」

 

「この案内を送ってしまったら、今後、誰にもださないからという意味合いの事だから、一部の誰かに年賀状を出すつもりであれば、あかんのではないか」と言われた。

 

 

 

そうか、確かにその通りである。高齢ではないので、まだこの方法は使うつもりはないが、このようなやりとりを毎年していることが、なんとも不思議な光景である。

 

そもそも年賀状は必要なのだろうか、という話になった。高齢の方は生存確認のために、年賀状のやりとりはしているのよ、と言う人もいれば、年賀状を失礼するという、先ほどの案内を出して、もう一切出さないと決めてしまう人の二通りがあると思われる。

 

 

 

では、私たちの年齢の場合はどうだろうか。若者はメールだけで年始の挨拶は済んでしまうだろうし、年賀状の習慣がある世代もどんどん減少してきている昨今である。しかし年賀状を昔から書く習慣のあった世代からすると、内心は面倒臭いけど、もし一枚もお正月に年賀状が届かなかったとしたら、それはそれで寂しい気もすると思う。人間とは常に矛盾しているものである。

 

年賀状が必要か、必要でないかは、人それぞれの考え方によると思うが、毎年、年賀状を書くという行為に、大変な労力を費やしている姿を想像すると、そんな気持ちで書いているなら失礼な気もしてきてならない。少数でも自分が本当に出したい人にだけに、心を込めて筆をしたためたいものだと思うのだが、今年も一枚でも少なくするにはどうしたらいいかと、心を込めて筆をしたためたいものだと思う反面、今年もまた、一枚でも少なくするにはどうしたらいいかと、送付者リストとにらめっこしている自分がいる。

 

年賀状だけのお付き合いを止めるタイミングに、最適な時期はあるのだろうか。